2009年4月アーカイブ

モーニングセミナー 講話より

 

 『 心の経営……やれば出来る』

 

                       講師  法人スーパーバイザー 増田常平 様

 

増田常平1.jpg 先日、青森の十和田市倫理法人会へ入って参りました。モーニングセミナーで青森県幹事長の三浦さんとお会いしました。八戸から十和田まで約一時間車を飛ばして参加したと言っていました。 セミナーが終わると、「増田さん、八戸まで送るよ」八戸からは新幹線が出ていて都合がいいんです。という事で車に乗りました。途中で、「ちょっとうちの会社へ寄ってださい」という事で、「コアラハウス」住宅産業を営んでいる三浦氏の会社に立ち寄りました。

 

増田常平2.jpg 会社の玄関を入ると、入り口に「歓迎ようこそ増田常平様」ときれいに印刷したポスターが貼り出されていました。途中で会社に連絡をして準備させたのでしょう。記念に写真を撮りましょう、という事で玄関に貼られているその歓迎のポスターをはさんで三浦氏と写真に収まった訳です。帰りに、写真額になって、来社記念のお土産となって出て来ました。

 

 それだけで驚いては早いんです。入り口に、私の名前入りのスリッパが揃えてありました。「日本一の経営者 増田常平様」と印刷して貼ってあります。

増田常平3.jpg 応接に通されますと、お飲物は何にいたしましょうと、色んなものが書いてあるメニューが出て来ました。私は、コーヒーをお願い致しました。

 

 すると、コーヒーについてきた砂糖に、「歓迎、増田常平さま、ようこそいらっしゃいました」と印刷してある。次に、お菓子が出て来ました。お菓子に、歓迎増田常平様と帯封をしてあるんです。ほんとに、びっくりするんですよね。お土産に何か差し上げますので好きな物を言って下さいとリストがあるんです。

増田常平5.jpg 

 名前入り砂糖。さっきのですね。名前入りお菓子、名前入りコースター、名前入りストロー、名前入りウチワ、名前入りスリッパ、名前入り便せん、封筒いろんな事がドーンと書いてある。中に腰痛の薬というのがありました。

 

 腰が痛いもんですから、これを注文しました。「ハイわかりました」と紙袋が出て来ました。「腰痛がなおる薬・コアラ薬局」薬局ではないんですよ、住宅産業ですから。これに私の名前増田常平6.jpgが書いてある。ついでにもう一つやりましょうと「金持ちになる薬・コアラ薬局」と出て来た。「笑いが止まらない隣のノリチャン」と、私の名前が書いてある。中身はマーブルチョコレート。

 

 「打つ手は無限」と言いますが、皆でアイデアを出し合って、お客様を喜ばせようと創意工夫をこらす。アイデアはどんどん取り上げる。

 ショールームを見に来たお客さんはまず100%受注できるということです。子供を連れて来るときは、子供の名前まで全部聞いて、同じようにチャンと準備して迎える。……

 

                                         新潟県(倫)法人SV ニッセイ新潟代表取締役

モーニングセミナー講話より

 

『 本気のチーム作り 』

 

                        目黒区倫理法人会  大嶋啓介

 チームづくりの極意

 

大嶋 007.jpg 本気でジャンケンしたり、本気で拍手したり、握手したり、ガンバロウと声をかけあう。本気で自分の思いを伝えたり、本気で相手の思いを聞く。

 チームづくりの極意は、これ以外に無いと思っています。

 

 十年前迄、人と接するのが苦手で、チームを作る能力が無いと思っていました。飲食店の店長をやっていたのですが、何をやってもうまくいかない。

 今思うと、僕自身が、バイトさん、社員さんと本気で向き合っていなかったんです。

 自分自身が本気になっていない、だからバイトさん、社員さんが当然やる気になるわけがない。

 私の目標は、「日本一のチームを作りたい」というものでした。皆が輝ける、最高に「よしやろうと」心から燃える、そんなチームをどうしても作りたい。

 この思いから、方法を求めて聞き回りました。一年間に102人の店長さん、経営者に教えを乞いました。研修オタク、セミナーオタク、講演を聞きまくりました。成功者を追いかけました。

 

 父の教え

 

 父は小学校三年生の時に突然他界したのですが、

 「素直な人間というのは、いいと思ったことを直ぐに行動に移す人のことだ。」と教えてくれました。

 いいと思っても、「でもな、自分には無理かな、でもな…、」と行動に移さない人がいます。

 ですから、僕のは、「パクリの哲学」なんです。

言葉はよく無いけれど、モデリングというんです。

 今一番輝いている本気のチームを作っている店は何処なんだろう、と日本中さがしました。そこに通って学んでモデリングして、朝礼をパクりました。

 うまくいく人の違い

 私がどうしても知りたかったことは、人生で、うまくいく人と、うまく行かない人の違いは何なのか。

どうして、同じ店長でも、うまく行く店長と、うまく行かない店長がいるのか。同じ商品で売れる人と、売れない人がいるのか。

 

  法則がある

 

大嶋 011.jpg 自分には出来る、という思い込みの差、信じる力が違う。ここに差がある。成功する人は、成功するまでやりつづけた人なんです。

 夢をつかむ人は、夢をつかむまでやり続けた人なんです。たったこれだけの差ですが。やり続ける人と、途中であきらめてしまう人の差は何処にあるのか。それが、「思い込みの差」であり「信じる力の差」だったのです。

 自分には出来るということを、思い込めるから続けられる。思えなくなった瞬間に諦めてしまう。

 自分の人生は、これからという事を信じるのか、こんなもんだと思うのか。前向きな人間だと信じるのか、後ろ向きな人間だと思うのか。

 何を信じるか、これで人生が決まる。

 栞の十五条に「信じれば成る」とありますがこれなんです。

 

 

  ウオルト・ディズニーさんの場合

 

 ディズニーランドを創った、ウオルト・ディズニーさんは、302回断わられたそうです。あちこちの銀行に断わられて断わられて、303回目にやっと融資してくれる銀行があらわれた。そしてディズニーランドが出来た。

 

 カーネル・サンダースさんの場合

 

 もっとスゴイのは、ケンタッキーフライドチキンのカーネル・サンダースさん。65才で創業して世界中にケンタッキーフライドチキンを広めた。

 創業の時、このチキンを世界の人に食べてもらいたいとレストランを回ったそうです。「こんな爺さんの話聞けるか、あっちへ行け」と断わられた。1009軒断わられた。1010軒目に、やりましょうと協力者が現れガソリンスタンドの跡地を第一号店として、そこから世界に広まった。

 

 この話を聞いて、自分には可能性が無いと思っていましたが、夢を簡単にあきらめるような格好悪い大人に成りたく無いと思いました。この時から、

あきらめるという言葉を使うのをやめました。

                   

                           ( 有限会社てっぺん  代表取締役 )

 

モーニングセミナー講話より

                      講話  塩貝 博 様

気がつくと借金70億円

 

塩貝 博 002.jpg 平成2・3年の頃は、銀行がドンドン借りなさいと言って来る。返さなくていい、利息だけでいいという勢い。危険と思いながら頼まれて借りた。しかしバブルがはじけ一度利息を止めると態度が急変して早く返せ…。

 気が付いたら借金70億、鉄屑は競争値下げ、全く採算が採れない。日本がダメなら外国へと販路を向けると、通産省がLCを出さないという。日本の製鉄所で全量買うのだから輸出はまかりならぬ。ならば、メーカーの責任で高く買うべきだ。すると同業者が同調してきた。今度は、公正取引委員会から価格統制で逮捕する…ときた。一度刑務所の中を見たかったところだ、と応酬。

 平成七年には、ホームレスがあふれた。自分もあの中かと思ったが、家族も従業員も皆だと。これは冗談じゃない。頼まれた事やっただけじゃないか。

 生命保険ありますか。2・3億だ。それだけではとても間に合わない。居なくなれば形がつきますから大丈夫です。よく平気で言うね、オレに死ねということか。そんなこと言っていません。一人じゃ面白くない、あんた先に行ってくれ、使え使えというから借りたんだ。返すから辛抱しなよ…。こんなやり取りを繰り返していた。

 

 指導を受ける

 

 奥さんの言う事を聞きなさい。と指導された。

 聞きなさいというのは、言った通りにしなさいというのではないんですよ。

 「返せないが困ったな…、」と家内に言うと、「無一文で始まった商売だから、諦めて売っちゃえば」とアッサリと言われました。ナニこの野郎、オレがあんなに苦労して40年戦ってやっとここまで来て、最後になんで放り出さなくてはいけないんだ。

 喧嘩しててもしょうがない、聞きなさいというから聞いてみた。ああでもない、こうでもない、いろんなことを聞くようになったら、物が見え始めた。そういう考え方があったのか。家内から見るとこうだったんだなと分かる。ここが一番大切なポイントだった。聞いて、変えなくてはならない事は変えていく、全部は変えられない。何もかもうまくいかないと言う中で、これだけはやるべきだな、これだけは変えようかな。それで駅前清掃を始めた。

 

 駅前清掃の開始

 

 始めると素直になる。借金どうやって返そうか、考えてもどうにもならない事を考えても誰にも救ってもらえない。相談する場所もない。

 随時色々教えてくれたのは倫理法人会だけ。稼げない、家を明渡せとくる、明渡すほかない。事業も縮小、撤退を続ける。仕事の方は、息子が大胆に改革を進めてくれた。工場をバッサリと処分していく。自分では、とても出来ない。

 社員にも家族がいる、守らなくてはならない。「オレは頑張るから皆応援してくれと日常話した。」会社の中、労働組合の話も出ていましたが、それも消えてしまった。

 駅前清掃を始めて様子が変わってきた。会社の中のことも聞こえてきた。家内からグズグスいわれて言うことを聞くようになったら、色々な話が聞けるようになった。

 

 消えた大腸ガン

 

 その頃、大腸ガンで二回手術をしていた。再発して三回目の手術を控えていました。そんな時大量の下血がありました。でも駅前清掃を続けて検診日、下血の二日後でした。大量の下血がありました、と医者に報告して検診を受けると、何してたんですかと聞かれた。王子駅前を掃除してました。何で取ったんですか。ほうきです。違います、ガンを何処で取ったんですかという。ガンが全く消えてしまっていたのです。その後、この通り、今でも元気。

 

 実践が大切

 

 明るい挨拶をしなさい。両手をついて家内に挨拶、と指導された。

 家内の枕元へ行っておはようございます、今日一日よろしくお願いします。何だか空々しい…。

 所が、自分は、会社の中がどうして変わっていくのかが分からなかった。何を聞かれても、社員の言う事も「ハイ」と聞けるようになってくる。

 七ケ所倫理法人会を立ち上げた。不思議と条件が整ってくる。応援の人が出てくる。

 こうしているうちに、とうとう借金70億全部返してしまった。よくあんな事が出来たものだ。

 

                      クリーンテックシオガイ東京(株) 会長

経営者の集いより

 

講話抜粋 《人生逃げたらあかん》   

 

                              講師 福岡県倫理法人会副会長 大島修治 氏

 

大島修治.jpg 平成9年の10月、事件後初めて出社しました。出社といっても、その頃は、字は書けない、言葉もうまくしゃべれない。

 

自分の居場所が無い

 

 すぐに、ここには自分の居場所が無いと感じました。「おはよう」と声をかけても、みんな下を向いて黙々と仕事を続けて、返事をしてくれない。誰一人として「退院おめでとうございます」と声をかけてくれる人はいません。怖いものを見るような顔をして、「いまごろ何で出てきたの、そんな体で大丈夫」と言っているようでした。

 

職と生活を奪う

 

 事件に遭って1年3ヶ月、その間にした事は、会社を潰さないための合理化の指示だけです。70億あった年商、230人いた社員は、10分の1になっていました。私は肝心のことを忘れていました。この合理化によって多くの社員の職と生活を奪ってしまったことを忘れていました。

 

針のむしろ

 

 何としても社員の信頼を取り戻さなければ、社員と心の絆を結ばなければならない。私は「従業員は私の使用人だ。給料を払ってやっているんだ」と、えらそうな経営をしていたのです。会社に復帰した時の社員の冷やかな態度からは、そういう社長を決して認めない、許さないという気持が伝わってきて、針のむしろに座っているようでした。

 

トイレ掃除開始

 

 会社のトイレは約四坪ほどで床はタイル張りになっています。そこに小便器と大便器が二つずつあります。私はそのトイレの掃除を始めました。朝トイレに行き、長靴を履いて左手に手袋をします。左手でタワシやスポンジを使い、右手の中指と薬指の間にホースをはさんで水で洗剤を洗い流します。洗剤がホースにつくとつるつるとすべってしまい、最初はうまく行きませんでした。指の間をすり抜けていくのです。水道からは水が勢いよく出ていますから、私の手を離れたホースは蛇のように踊り出します。それでトイレが水びたしになってしまいました。

 

トイレ掃除はやめてください

 

 トイレだけではなく、私の身体もびしょぬれ。掃除を始めて四日目ぐらいのこと、一人の女子社員が私のところにやってきて、「会長、もうトイレ掃除はやめてください。私たちがしますから」と言うんです。「えっ?どうして?」と聞くと、私がトイレ掃除をしたあとは、トイレットペーパーなど全部ぬれてしまって使い物にならないと言うのです。

 これからは気をつけます」と答えたものの、内心では「こんなに苦労してやっているのに」と不満で一杯でした。それは社員に対する不満だけではありません。ときにはトイレの便器に映る自分の顔に犯人の顔がだぶって見えて、「すべてはおまえのせいなんだ」と、犯人に対する憎しみがかきたてられることもあります。

 

何か手伝いましょうか

 

 しかし、それでも私はやめませんでした。いまやめたら元も子もないと思ったからです。また社員に指摘されたことも、言われてみればその通りだと反省しました。だんだんと手際よくなって短時間でピカピカの状態に仕上げる事ができるようになると、嬉しくなって、玄関前の道路も掃くようになりました。最初、自分達への当てつけと感じていた社員もいたようです。

 二週間程したある日、便器を磨いていた私に、「会長、おはようございます。何か手伝いましょうか」と一人の社員が声をかけてくれました。この時は嬉しくて涙が出て止まりませんでした。

経営者の集い 

 

『 話で人生は変わる』

 

                吉川・松伏倫理法人会   加崎 勇 様 

 

加崎 勇.jpg あなたは話で損をしたことがありませんか

 皆さんは、言葉のたくみさでだまされさことはありませんか。最近リフォームの詐欺など問題になっていますね。

 また、旧知の仲の気安さから、相手の気持ちを逆なでしている事はありませんか、以外と相手の気持ちを考えないで大きな損をしています。

 

 話はどんな仕組み

 

 自分が話す時は相手の事を考えていないものです。

 聞いた人が、分かったかどうか決めています。子供等、「分かった?」と聞かれて、「分かった」と答えても、後の行動、戸の開け閉め等で判断する事が必要です。聞いた振りをしている事もあります。質問したり、こちらから聞いてあげる事が必要です。

 

 自分本意で話していないでしょうか

 

 知ってるはずだ、べきだ、もんだ族になっていませんか。言葉一つでも、一人一人受け取りかたはちがっています。机と言っても、木の学習机、スチールの事務机、横長のテーブル等色々受取り方は違います。話した事の50%が理解されたなら、良い会話なんです。

 

 相手の立場を考えた話ぶりを

 

 表情を観察しながら話をしましょう。怪訝そうな表情の時は、理解されていません。別の表現をしてあげる必要があります。

 子供との話は、殆どの親がいい加減に聞いています。ちゃんと向き合って目を見て話して、素直な気持ちで聞いてあげましょう。

 態度、表情で受け止め方が全く違ってきます。表情が明るかったか暗かったかで、信頼感に大きな差が出てきます。冷たい、悪い印象を与え続けていますと、知らぬ間に敵を作っている事になります。

 

 あ・い・さ・つ

 

 『あたたかい関心、いつも、さきに、つづけて』を心がけてください。挨拶は、お早う、さよなら、だけではありません。一日何回でも、会う度に関心を持っている心を知らせる事が良い関係を保ちます。

 ちょっとした挨拶が、明るかったか暗かったかで、暖かかったか冷たかったで、聞き手の心を大きく左右させています。言葉に合った態度を選んで話しをしたいものです。

 

 やる気を起す話 

 

 やる気を出させる方法には、金力、権力、話す力があります。

相手のことを考えて、必要な事を、必要だけ、必要な方法、で言える力。これが話す力。相手の価値を認める。○○さん、さすがだね。○○さんらしくない。はよい表現です。

 

 まとめ あくまをおいだせ

 

『あきるな、くさるな、まけるな、を(お)ごるな、おこるな、いばるな、だれるな、せめるな』この心掛けでやっていきますと、良い人間関係がきずけます。

 

経営者のつどい講話より

 

 苦難福門』

                           埼玉県副会長 三上忠男 様

 

三上誠.jpg 私の甥の結婚式に出席した時。真島さんという社長さんが最初挨拶しました。

 「今日は、おめでとうございます。私は、乞食で盲でした。」

 何で乞食で盲の人がトップバッターで来賓の挨拶するのかなと思いましたが、後で話を聞いてビックリしました。

 

 真島さんは、戦前に早稲田大学の理工学部を出て兵隊に行きました。中国戦線で目の前で爆弾が破裂してめくらになってしまったんですね。体に破片が30数個はいってしまった。終戦になって日本に帰って来ました。

 

 真島さんは、広島県の作り酒屋の独り息子だったんです。その造り酒屋が原子爆弾で全部やられて跡形も無くなった。井戸だけがのこっていたんです。帰って来て親も誰もいない、自分は盲という事で生きる望みが無くなった。

 

 井戸に飛び込もうとして縁に手をかけてまさに両親の許に行こうとすると、たまたまそこに通りかかった人が、

 「何をしているんだ」

 「いやもう私は生きる望みが無くなった、ここに飛び込んで死のうと思ってる。」

 「そんなバカな事をするな」

 

と引き止められて一命をとりとめたんです。そして、

 

 「あなた死ぬのだったら、死ぬ前にお父さん、お母さんの菩提を弔いなさい」

 といわれて、

 「ああそうだ、我が家は日蓮宗だったなあ。日蓮宗の本山は何処だ。そうだ山梨県の身延山。身延山に行こう」

 ということで広島から私の兄のいる岐阜県の大垣までたどりついた。

 

 パンツに使うゴムひもとか針、縫い針そういう物を売りながら来たんですね。橋の下とか軒先きで宿を取りながら。宿屋をしていた兄の所に、一晩泊めて下さいと宿を乞うて来た。ぼろぼろの乞食、でも兄は、いいですよと泊めてあげたんですね。風呂に入れて、きれいに身サッパリにして、衣服も質素だけれど改めてあげたんです。色々身の上話しを聞くと、素晴しい人なんですね。その一例が、礼状。手紙。ハガキを幾重にも折ってその筋に沿って、先日は大変お世話になりました。その文章がまた素晴しい。

 

 そして又、遥か身延山に向っていったわけです。三百段近い高い石段、健康の人でも大変な場所、わら縄の先に石をくくりつけて、その石をポーンと投げながら石の階段を登っていった。カチンと音がすれば階段があるけれども、音がなければ断崖絶壁、谷底へ転落。

 こうして頂上まで登っていって、お父さん、お母さんの弔いをやった訳です。

 下に降りて来て、富士吉田に来た。そこにおばあさんと娘さん二人だけの八百屋さんがあった。一晩泊めてもらった。そのお婆さんが、いやこの真島青年というのは盲だけども素晴しい。という事で、娘と結婚させちゃうんですね。子供も出来た。でも、盲じゃ不自由だ、なんとかならないかという事で、眼科の医者に見せた。そしたらこの目は直るという事で、手術したらほんとに見えるようになった。

 

 それからの真島さんの働きはすごい。その当時、なけなしの金をはたいてオート三輪を一台買って、そして筆で「ママさんマーケット」と書いた幟旗を立てて、その当時貴重な石鹸とか色々な雑貨を積んで村のほうに売りにいった。それが帰りは空になるくらい売れに売れた。どんどん店が大きくなって、他に出店もした。

 

 他人のやっかみでつぶれるよと中傷などが入ったりしたのを乗り越えて、今は大きなスーパーマーケットの社長さんになっている。人生てすごいな、やれば出来る。とつくづく感じております。

 もし、真島さんが井戸に入って自殺していたらそれで第一巻の終りだったんだけれど、人に助けられて、お父さん、お母さんの菩提を弔って、オート三輪を一台買って、それで仕事をして、今日がある。人生てなんだろう。

 

 「苦難福門やればできる」んですネ。

 

                          (有)アド・ミカミ 代表取締役

モーニングセミナー講話にて紹介

               東松山市倫理法人会 安藤正一様 

 

『生涯の旅路』 

 

私は私の一生涯の旅路において

今日というこの道を再び通ることはない

二度と通ることはない

二度と通らぬ今日というこの道

どうしてうかうか通ってなろう

笑って通ろう歌って過ごそう

二度と通らぬ「今日」というこの道

わらわれて… そこで反省するのだよ

しかられて… そこで賢くなるのだよ

たたかれて… そこで強くなるのだよ

一輪の花でさえ風雨をしのいでこそ

  美しく咲いて薫るのだ

バカにされても笑ってうけ流せ

けとばされても歯をくいしばって忍べ

苦しいだろうくやしいだろう

しかし君

この道は尊いと言われた人たちが

必ず一度は通った道なんだ

モーニングセミナー講話より

 

『 未だ見ぬ本当の自分の発見の旅』

 

 

              朝霞市倫理法人会 監査   北嶋茂敏 様  

 

 

人生はすごいドラマだと思います。中学校から話を依頼され、7月9日講話をいたしました。全校生徒709名、父兄百名、先生合わせて850名。翌年3月16日卒業式に呼ばれました。

 

式後、来賓の方々が集っていた校長室に一人のお母さんが訪れました。「あのときどういうお話しをしたのでしょうか。家の子はあの時からすっかり変ってしまいました。…」

全く迷惑をかけなくなったと言うんです。お母さん、それは真剣でしたね。どうしたら、そんなに変われるのか。……

 

 

 要は、我慢しなさいと言う事を話したんです

 

 

北 023.jpg 机をたたいて『我慢せんかい!』 とやったのが事実ですが。学校、中学校時代なんていうのは本当の自分なのか、今、いろんなことを学んで、団体生活、学習、部活で体を鍛える。そういう事を訓練して世の中に出る。

 まだ見ぬ本当の自分はもっと先にあるんじゃないのかね。

 

 今の子供たちはちょっと面白く無い学習があると、もうすぐ「面白くネエー」と教室の中グルグル走り回って人に迷惑かけて知らん顔。自分が面白くなければガチャガチャ。

 

 皆さんだとは言わん。でも、今はそう聞いている。その時に、おじちゃんは我慢した。人に迷惑をかけるような事はしなかった。おじちゃんは決して勉強が出来たわけでは無い。

 

 ここに、通信簿がある。国語が2、社会が2。英語が2。勉強は出来なかったが、一応経営者として会社やっとる。皆の前に立っている。国語の時間読ませられる、漢字が読めない、嫌な授業は50分の授業が倍にも3倍にも感ずる。でも人間我慢ができなくてはだめなんだ。

 

 世の中に出たら我慢する。私の体験でそんな事は絶対に出来ない。15才だと仕事も出来ない。法律で雇う事が出来ない。

 

 父さん母さんから、こずかいもらっているんでしょう。そうでないと生きられない。能書きかけるようにしてくれたのは誰なんだ。

 

 文章がよく分らん、今しっかりやっておけばサラサラサラと書ける。これはボロボロになった国語の辞書。いつも私の机にある。私の父が苦労して買ってくれたものだ。

 勉強しなかったのは自分だ。だれのせいでもない。

 

 皆さんは「今」勉強出来る。先生がついている。必ず、いつかしなくてはならない。若くて覚えのいい時にやるか、年をとってやるか、自分だけ例外という事は絶対ないんだ。

 

 中学で社会に出る。高校で、又それ以上で社会に出る。社会に出ていよいよ仕事が始まる。力が試される。自力が生きて来る。……

 

                     私は、夢中でこんな話をしたのです。

モーニングセミナー講話より

 

「つまずいたおかげで」 

 

             講 話 (株)グランパ代表取締役 伊藤良男 様

 

 

伊藤良男.jpg

 そのお母さんは、三人の子供を抱えてくらしていました。その中の一人の子が重度のアレルギーで厳しい食事制限を強いられていました。

 

 食事のことで、いろいろの楽しい行事にも参加できず、レストランやお寿司やさんで食事をする事もありませんでした。

 

 ある日、一人の子が、お友達から、レストランでの楽しい食事の話を聞いてきて、どうしてうちはレストランへ行って食事をした事がないの、とせがみました。

 

 お母さんは、意を決して、皆でレストランで食事をすることにしたのです。アレルギーの子供の為に、特製のお弁当を作り、出かけました。

 

 目当てのレストランに入り、事情を話し、アレルギーの子が、持ってきたお弁当を店内で食べさせてくれるように頼みました。

 

 残念ながら、そのレストランでは、持ち込みの食事は禁止されていて、断わられてしまいました。

 

 お客様だけいいというわけにはいきません、と言う事でした。

 

 仕方なく、二軒目のレストランに行き、同じように事情を説明して、店内にアレルギーの子供のお弁当を持ち込むことをお願いしました。

 

 しかし、その二軒目のレストランでも、丁寧に断わられてしまいました。途方に暮れた、お母さんは、やはり家で、食事をしようかと思いました。

 

 しかし、と思い直し、三軒目のレストランの門をたたいたのです。事情を話すと、改めて店長さんが応対し、快く応諾してくれた上に、持ってきたお弁当を預らせてくださいと申しでたのです。 

 

 しばらくして、出された料理のなかに、持ってきたお弁当が、レストランのお皿に上手に盛り付けられて、しかも、日の丸の小旗が立てられていました。

 

  お母さんは、それを見た途端に、胸が一杯になり、まわりが涙で見えなくなってしまいました。

 

 せめてこのくらいのサービスはさせてください。又いつでもどうぞ、と店長さんの言葉でした。       

                                 文責 広報 大住

経営者の集いより

 

『人生二度なし』

 

             会津若松倫理法人会  法人レクチャラー  横山時子 様

 

人一倍の負けずぎらい

 

横山時子.jpg

美容師の学校を卒業して間もなく、技術も未熟でしたが、自分の美容院を開きました。人に使われるより自分でやりたいという意識が強かったと思います。人と接するのが好きで、おしゃべりもはずんで技術が未熟にも関わらず、沢山のお客様が来てくれました。

 しかし、こんな事ではいけない。美容師になったからには、だれにも負けたくない、勉強してコンクールに出場して試してみようと決心しました。 

 

技術レベルの差に愕然

 

 東京の大会に出た時、レベルの差に愕然として足がすくみ、大変悔しい思いをしました。私は、お客さんをモデルとして連れて行きましたが、皆、プロのモデルさんでもう、比較になりませんでした。

 

とうとう日本一に

 

 日本で一番大きな全日本美容選手権大会に出場するためには、県大会で優勝しなければなりません。カラーのコンクール、カットのコンクール、ヘアスタイルのコンクールと十年間費やしました。幸いにして一位が取れたときは、疲れがピークに達し風邪で38度の熱がありました。気力だけで戦いました。長い戦いの努力がついに実ったときには、夢ではないかと自分の頬をつねったものです。涙がとめどなくながれました。優勝したのは、県大会で審査員をした方で私の師匠でした

 

チャンスは努力の代償

 

 十六年前、ワシントンホテルが出来た時、技術の優秀な美容師さんと言う事で、声が掛かりました。

 チャンスといのは、努力している時、努力している者に与えられると思います。一生一度の晴れのお手伝いができるのは最高と思い出店致しました。また、ここからお嫁さんのメイクと着付のコンクールが始まりました。コンクールには大変の費用がかかります。何千万。ワシントンに入るのに何千万。あの頃は借金地獄でした。はじめは婚礼も少なく、従業員の給料も払えない時もありました。頑張って、頑張って、頑張り通しました。励ましてくれ、手を差し延べて下さった人たち、何十年と変わらず来て下さるお客様、貴女ならと無条件で多額の援助をしてくれた方、この恩は一生忘れません。

 

「地域社会に貢献する」

 

 仕事も軌道に乗り、余裕が出てきた時、仕事を通して恩返しがしたいと思い、カットのボランティアに行く事にしました。月に2回、スタッフ3、4人で午前中30人程のカットをします。8年続いています。忙しい時、マネージャーが「もう充分に奉仕をしたのですから、やめませんか?」と言ってきた事がありました。ホームの老いた人たちが大変喜んでいる顔を見たら、それは絶対出来ない。今までこうして商売してこられたのは、世の中の人にどんなに助けられお世話になった事か。会社の経営理念にも「地域社会に貢献する」とあります、と説得しました。

 

両親と一緒に

 

 私は、末っ子ですが、両親と一緒に生活する事情ができました。ホテルに出店して2年後です。家を建て娘を結婚させ、本当にてんてこ舞いでした。現在、美容の傍ら農業の両親からの土地を耕して、作物を作ることもやっています。今日お持ちした柿も自分で収穫したものです。はじめは、格好が悪くて、顔が見えないくらいにしてやっていましたが、土に触れていると、安心するというか、清々しい気分になってくるんです。今では、農作業の姿も板について、堂々としたものです。手も荒れ、指もゴツゴツしてきましたが、両親に少し近ずけたかなと思います。

 

                 有限会社トキコビューティーサービス代表取締役

 

                               文責 広報 大住

埼玉から日本一への挑戦(抜き書き) 200922日 新春賀詞交歓会

 

           講演            埼玉県知事 上田清司

 

上田知事.jpg 私は、準備をして知事になったわけではありませんでしたので、走りながら実行していくよう考え方を工夫しました。一つは、食の安全の問題がありました。あの牛がヨロヨロと転げるBSEの問題です。あの姿が将来の人間じゃないだろうか。他にダイオキシンがありました。いろんな問題があったんですけど、食の安全のが脅かされ、中国からの野菜の輸入が大幅に減ってしまった。

 

モーニングセミナー講話より

 

 『ハイからの出発』

                        法人スーパーバイザー 小泉貞男様 

 

 小泉 003.jpgある時に小林幸子先生が来てくれました。

 「倫理の先生は夫婦愛和と言うんですが、うちのは、履物揃えろといえば、わざとこう広げてあがるし、反発というか逆のことをするんです。片付けろといえば、わざと片付けない。やあ先生だめですよ」

と愚痴っぽくお話したんです。すると、

 「小泉さん、履物は自分で揃えればいいんです」という答え。

 そう、自分で揃えればいいんですが、納得いかないんですねえ。

 さらに、履物揃える時に、一言ことばをかけてあげて下さい、と言うんです。

 「長靴さん、ありがとう、水の中ありがとう。靴さん、女房の足を守ってくれてありがとね」と一言添えて下さいといわれたんです。

 「ああなるほど、そうかなあ、そうするのか」 とその時は納得するんです。

 でも、三日、四日で、何で俺が履物揃えなきゃいけないの、オレは、社長だぞっと傲慢の自分が出てくる。

 こんな状態でしたが、倫理の実践が進んで、時期は丁度今頃。女房は、コタツに足をいれてうたた寝をしていました。その時、近くにあった毛布を、さっと掛けてあげることが出来た。一回やると結構自然に出来る様になるんです。こうして少しずつ夫婦が仲好くなって来たよう気がします。

 しばらくして、巡講された研究員に、「奥さんと挨拶していますか」と問われて、

 「はっやってます」。

 「本等にやってますか」

 「いや、まだできないんです」と白状。

 「どうしても出来ないなら、手をつないで 眠る事は出来るでしょう」

 「それならできます」

 これも、何日も躊躇してようやく手を握って眠る事が出来ました。最初、誤解もされたんですが。手を握ると、だんだん情が伝わるんです。女房は、惣菜部の主任やってるんです。揚げ物や、水を使う仕事。一日ご苦労さん。日曜なんかは余計に忙しい。ご苦労さん。少し力を入れたら、

 「あっ痛」 というんですね。

 手を見てびっくり。アカギレがすごいんですよ。もう割れて血がにじみ出て肉が盛り上がっている。なあにおかあさん、こんな手で仕事してるの。……

 毎朝、女房の顔見てます。しかし、女房の手をまざまざ見たのは初めてです。こんなに、痛々しくして黙々と働いて。やっ申し訳ないという気持になったんです。

 また、ある時

 「倫理を十年学んで、奥さんと挨拶出来ないとは何事だー」と叱られたんです。丁度、県の会長をやっていた時で、人数も少くなかった。私に言われているようで、こうなったら、よし、明日からやろうと決めたんです。

 朝食を作っている女房、隣の部屋や廻りをぐるぐる、なかなか言い出せない、悪い貞を押し退けて、思い切って、ちょっとそこに座ってくれ。と初めて両手をついて挨拶ができました。

 「おはようございます。

 今日、一日よろしくお願いします」

顔を上げると、女房がほんとうに嬉しそうに、目がうるんで見えました。……

 

                       株式会社高田屋 代表取締役

 『  倫理は事実、凄い凄すぎる 』

                                 埼玉県事務長 小滝 敏郎

小滝敏郎.jpg 私は税理士ですが、関与先に、従業員十名ほどの鉄工所があります。

 売上げが減少してきて、紙一枚、鉛筆一本まで節約してやってきましたが、60代の社長さんが、もうだめだ、バンザイしたい、自宅は担保に入っているからそれも整理して事業をやめたいと言ってきました。

  決算書を見ると、社長さんは、工場の近くにアパートを借りて、そこから会社に通っている事がわかりました。年百万以上の費用がかかっています。

 思わず、アパートを引き払って工場に泊まり込んで頑張ってやってみて、それでだめだったら止めましょう。と言ってしまいました。 

 まさか、実行すると思っていなかったのですが、社長さんは、その日のうちにアパートを引き払って、工場の控え室に泊まり込んで仕事を続けました。

 その時の様子を思い出すと、涙が出てしまいます。コンビニ弁当で食事を取り、寒い部屋、銭湯通い。賞与も払えないわけですが、社長が泊まり込んでやっているわけですから従業員もがんばりました。

 半年後、ポーンと立体駐車場の大きな仕事が決まりまして一気に業績が回復してしまいました。

 あの時は、神風が吹いたねと、社長はいっていますが、わたしは、いや、神風じゃないなと思っています。

栞に、

 重病人が、しずかに自分の天職を考えて、「ああ私は、畳の上で死ぬのではなかった、船乗りだった、よし船で死のう。かついで行って乗せてくれ」と愛船にかつぎ乗せられた。その瞬間、死の直前にあった脚気が一時に直ったという。こうした体験は、会友の間では、奇蹟ではなく、もう常識になっている。…

 

                            モーニングセミナー講話より  

                                小滝会計事務所代表

モーニングセミナー 講話より

 『 苦難に挑戦、喜ばれて靴づくり 』

                        古河倫理法人会 田口精二

 

  調子の良かった商売も、大型店の開店が続き、雲行きがあやしくなってきました。

 

 奥が深い靴の仕事

田口精二 .jpg 二十数年前に靴の勉強を始めていました。靴の商売をしていながら勉強していない人がけっこう多いんです。

 地元では、靴の事だったら一番よく知っている、一番出来るという事を意識して勉強を始めたわけです。

 医学、人間工学、スポーツ医学、勉強しなくてはならないことがいっぱいあります。一足ずつ足にあっていなくてはなりません。靴の悩みは多方面から検討しなければ解決されません。

 ドイツでの靴の研修会に参加して、プロとしての意識を学びました。今の店頭販売の靴屋さんの方法ですと、翌日から別の物を並べても商売ができてしまう。これは、プロではないと思うようになってきました。ドイツでは小さい町でオーダーメイドの靴屋さんがたくさんありました。

 

 オーダーの靴で行こうと決心

 当時、学校関係の商品も取り扱っていました。買いに来られたお客様との対応も簡単なものです。片や、オーダーの靴は、お客妻の要望を聞いて、最低でも四、五十分はかかります。子供の上履きを買いに来たお母さんの対応をしながらですと、オーダーのお客さんの対応は、話が途切れて仕事になりません。

 研修会仲間に励まされて、オーダーの靴専門で行こうと決心しましたが、オーダーの注文は、月一足、売上げ三万円、やっていかれるだろうか。親からの駐車場を売って資金を作りましたが、瞬く間に無くなってしまいました。売上が伸びるか。資金が底をつくか、苦しい競争が始まりました。

 

 お客様の喜びに励まされる

 まだまだ順調とは言えませんが、先が見えて来ました。もう少しで大丈夫。と言いますのは、ほとんどのお客さんが「ありがとう」と言ってくれる。以前は端数の金額は、値切られていましたが。高額の商品でもきちんと額面どうりに、感謝の言葉を添えて払って頂ける。

 ある年上のお客さんは、「靴を作ってもらえないと困るから先に死なないでおくれ」とまで言ってくれる。「もっと早くこの靴に会っていれば」とか、「この靴に出会えて良かった」と仕事冥利に尽きる喜びの言葉。やっていけるという自信となっています。

 

 新興宗教と間違えられる

 朝礼を始めたのが14年前、小山さんの所で習って、例の様に大きな声でやる。家内は反対。しかし、藁にもすがりたい私は、意を決して断行しました。

 夫婦二人での朝礼を始めました。はじめは、二階で目立たないようにやっていました。丁度オウムの事件があって、子供や母親から、両親が新興宗教に狂ってしまった止めてくれということになり、それがもとで、長男は家出してしまいました。次男三男はもっと激しかった。

 二階の目立たない所から次第に店に出て来まして、今は、店内で大きな声でやっています。表を通る人が何をやっているのか覗いていきますが、平気になりました。もう何処でやれといわれても即大丈夫です。

 

 倫理ってすごいね

 先日、長男が、「お父さんとお母さんは本当によく方向転換したね。倫理ってすごいね」と言ってくれました。

 止めなくてよかった。大変な時に止めるのは誰でもできる。これは、自分の過去の姿だった。けれども、今度は止めない自分がいた。

  この倫理と出会ったお陰で、強い自分、仲の良い夫婦になれたことを嬉しく思います。でなければ廃業、倒産、離婚していたでしょう。これらを乗り切れた自分がいた。

 これからは、苦難が来ても、「ドンと来い」としっかりと受け止める覚悟が出来るようになりました。

 

※2009年2月18日朝、NHKテレビで朝礼の模様が紹介されました。

 

                                                      (シューズサロンタグチ代表)

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