「我が子に教えられて」  遠藤治夫

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「我が子に教えられて」  東埼玉準倫理法人会 遠藤治夫

 

 私が倫理法人会のお誘いを受けたのは4年前の5月のことでした。当時、久喜市倫理法人会の齋藤会長から誘われたのが倫理との出会いでした。

 

 一回だけという約束 

 

遠藤治夫.jpg 知り合いの方からの紹介を受けた齋藤会長が勧誘に参りました。珈琲館久喜店を出店して2年ほど、会社も順調でしたので、「今さら倫理はいいです、朝礼も会社でやってきましたから結構です」と断わりました。しかし、「息子さんはどうですか」と痛い所をつかれて、一回だけと言う事で、倫理経営講演会に参加させていただきました。更に一回だけとモーニングセミナー参加しますと、遅刻したのにもかかわらず「ようこそいらっしゃいました」と大歓待を受けその日に入会いたしました。

 

 振り返って見ますと、あの日あの時のお誘いがなかったら私の家庭、我が息子そして会社の状況は、果たしてどのようになっていたのでしょう。

 私は6年前まで日本生命に勤務しておりましたが、若い頃からの自営の道を歩みたいという夢を捨て切れず50才で退職し、現在全国チェーン店を展開している珈琲館の久喜と杉戸の2店舗を経営しております。出店当初、息子を社員にして一緒に働くつもりでした。

 しかし、息子は私と働いていく自信がないと丁重な断わりの手紙をくれました。 息子には断わられましたが、幸い良い人材に恵まれ1号店を出店しました。イトーヨーカドー久喜店の1階正面玄関に隣接する恵まれた場所です。営業実績も順調に推移しております。

 

 ボタンのかけ違い

 

 息子が中学1年生の時、仕事から家に帰りますと、祖父と何か言い争いをしていました。私は、理由も問わずに「おじいちゃんに謝れ」と叱りつけました。息子は不服そうにブイッと奥にいってしまいました。これがボタンのかけ違いだったと思います。翌日、校内暴力を起こしました。

 高校時代ボクシングを始め、卒業して板前の修行に入り、充分な生活力のないまま20才で結婚し、健康な子供を授かり表面上は円満な家庭を築きつつあるかのように映りました。

 

 相次ぐ事故、ケガ

 

 しかしながら禍福はあざなえる縄のごとしで喜びも束の間、これから度重なる苦難に遭遇するとは全く想像すらしておりませんでした。

 最初の苦難は、夜中の交通事故。翌年はケンカで腕の骨折、その翌年はボクシングの練習中に強打をあごに受け、脳の血管が切れる硬膜化血腫で瀕死の重傷という状態でした。

 

 万事窮す

 

 珈琲館の月売上げを達成し、従業員と達成打上げ会で盛り上がっている所へ、息子の嫁から電話がはいりました。息子が車同士の接触事故を起こし相手車輌は反対車線に飛び出してトラックと衝突、即死してしまった…。

 万事窮す。この時はさすがに目の前が真っ暗になりました。 (唯一の救いは息子が加害者ではなかったことです)

 いつものように、この事故のあとも息子を厳しく叱責しますと、息子が怒り喧嘩になってしまいました。

 

 あなたはどうでしたか

 

 この直後、倫理の指導を頂き息子の実態を伝えたところ、予期せぬ言葉が返って来たのです。その一言「貴方の若い頃はどうでしたか」その質問にその場は何とか取り繕って帰りましたが、子育ては妻にまかせっきりで父親として何もしていない自分に涙が止まりませんでした。

 息子に降りかかる数々の苦難は実は我が息子が私の身替わりになってくれたのではないだろうかと気付かされました。

 万人幸福の栞第6条「子は親の心を実演する名優である」が初めて素直に受け入れられるようになりました。私は息子の子育てには全く無関心で会社人間しかも身勝手な生活をしていた事を痛感致しました。

 

 毎日の墓参をはじめる

 

 指導を受け息子の交通事故の翌日から両親の墓参りを始めました。今日まで3年3ケ月、一日も欠かさず続けています。お花を替え水を新しく、唯々お参りを続けています。千日を数える頃から、気が付いてみると息子の生活が静けさを取り戻しているのに気がつきました。事故がうそのように無くなったのです。

 

 息子からうれしい電話

 

遠藤親子.jpg そんなある日、突然息子から電話がありまして、私と一緒に仕事をさせてもらえないかという信じられない言葉でした。店の後継者がいない事が一つの悩みでもあった私にとりまして初めは戸惑いもありました。何がそうさせたのかわかりませんが、少なからず倫理と出会っていなかったら恐らくこの様な状況には至らなかったと思います。息子と私の大きな心の隔たりが、春の日の雪解けのようにとけていくのを実感しています。

 

 私は親の心を演じている息子の言動を見ながら倫理の学びと実践を今後も続けていくこと、そしてその恩返しが出来る人間になりたいと強く思っております。

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このページは、chairmanが2008年12月 6日 01:41に書いたブログ記事です。

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