『 倫理実践で得た数々の体験より、感謝の日々 』

                         法人レクチャラー 山本 茂雄 様    

 

7.23山本茂雄 002.jpg 昭和六十年に一般に入会しました。近所の奥さんが、子供が病気ばかりしているし、夫婦仲も悪く喧嘩ばかりやっているからということで、『新世』を持って来て倫理を進めてくれました。女房が「子育てセミナー」に出席して良い話をしてくれたと帰ってきました。これが、朝の集いに出席したきっかけです。第十三条「本を忘れず、末を乱さず」を勉強して、涙が出る程感心しました。ぼつぼつ倫理の勉強が始まりました。富士研にも参加しました。しかし、二から三ヶ月で元に戻るという状態で家庭は変わりません。

 私は、女房の言う事を聞かない、否定する。すると黙ってしまう。ぶっ飛ばす、大げんか、こんな事ばかりしていました。

  

一生治らない

 

 女房の気管支喘息が進んで、病院へ救急車で駆けつけることも頻繁となり危険状態となって来ました。一生治らないと言われました。研究所の先生に指導を受けたんですね。平成五年です。「女房は神様である、神様のように扱いなさい」と、書いてくれました。平成五年四月三十日。まあ苦しんでました。子供達もいるし、苦しくなるとすぐ病院に行ってしまって、家のなかは暗くなってるわけですね。

  

目白警察から呼び出し

 

 三人の子供も、滅茶苦茶でした。三男坊は、中学二年生の頃、近所の学校の生徒達と喧嘩をするし、自転車をかっぱらって売ってゲームセンターやら買い物やら、仲間とそういう方に入っていったんですね。池袋警察署、また目白警察からしょっちゅう呼び出しがある。家内は、私に言うと怒ってぶっ飛ばされるんで隠してたんです。ある時CDディスクを六十程枚盗んで、売って遊んでた。今度は、父親が来ないと引渡さない、という事になり、家内が一緒に行ってくれと言うんです。目白警察にいきました。子供を引取って、家に帰ってぶっ飛ばしてやろうと思っていました。以前研究所の先生に、「子供の事より自分がその頃どうしていたか思い出して両親に詫びなさい」と言われた事を思い出しました。 私も、ガキ大将で柿を盗んだり、菓子をポケット一杯盗ったり、やらせたりしていた。そこで、お父さんが悪かった、ご先祖さんにお詫びしようと、子供を仏間に座らせて、仏壇の前に座ると、涙が止めど無く流れて顔が上げられない。子供の手前懸命に隠そうとしましたが、畳が涙でびしょびしょでした。それから、子供は、悪さを一切しなくなり今では、家の仕事を手伝ってくれ頼りがいのあるいい働きをしてくれています。

 

女房の病気が全く治ってしまった 

 

 その後、巣鴨法人会立ち上げ等で普及に夢中になっていましたが、気が付いてみると女房の病気が全く治ってしまっていたんです。…

                             三金塗装(株)社長 

                            (モーニングセミナー講話より 文責 大住)

花火と倫理と……日本創生

 

           宇都宮西倫理法人会専任幹事 炭田恵崇 (すみたよしたか)

 

花火決行.JPG フッと父親がアパートに来ました。一時間ぐらい会話もなく、いきなり発した言葉が、「会社潰れるよ」

 今振り返ると、バブルの崩壊の煽りを受けていたのです。3日目に会社の敷き居を跨いだ時、10人いた社員がすれ違いで出て行きました。その瞬間に、社長の父と私の二人だけの会社になりました。こうして20期目、95パーセントダウンの会社に入社しました。パソコン数十台、広い事務所、外車の社用車8台など処分して1年間喰いつないぎ、貯金も全部はたいて、10年間やって、80パーセント位まで戻しました。その時3人の子供がおりまして、手狭になったので、家を建てました。マイホームの印鑑を押した瞬間に、重圧と責任に押しつぶされる不安が襲ってきました。

 

倫理法人会に入会

 

 それから数ケ月間して、縁あって現在の宇都宮の会長渡辺有規さんに相談、悩みを打ち明けた所、黄色い申込書を出されました。迷わず書けと言われて、書かせてもらいました。家に帰ってみると倫理法人会。なんじゃ宗教だ、マイッター。朝6時に来いとか、何度も連絡もらって行きました。私34歳ですけれど、最初はゾゾッとしました。これはあり得ない、何だこのおじいちゃんの会は。半年ぐらい幽霊会員ですね。良い事言っているけど楽しく無い。おじいちゃんばっかりで、話も合わない、飯喰ってても面白くない。説教ばっかりしやがって。そんな感じでモーニングセミナー半年で5・6回しか行きませんでした。

 

4人の仲間

 

 丁度9月、7回目のモーニングセミナーに行くと、同世代が4人おりました。私よりチョット前に入会していて、行き違いで会う事がなかったんですね。4人と一緒に食事しました。嬉しかったですね。それからです、気持ちを一つにして倫理の活動が始まったのは。お前が行くなら俺も行く、お前が行かないなら、俺が行って聞いておく。先輩方からの教えを仲間に伝える、仲間が感じたものをまた、フィードバックしてもらう。

 4人で出席していたら、楽しいんですね。普及はどうとか、なんとかいう話題でなく、次ぎ何処に飲みに行くの、どこ遊びに行くの、どんなふうに仕事やろうかとか、こうしているうちに、栃木県に悪い人がいるんですね。マインドコントロールですね。返事は0.2秒で「ハイ」と言え。スーパーバイザーの方々も声を揃えて迷わず「ハイ」と言えという。

 

花火大会を復活せよ

 

 最上スーパーバイザーという方なんですけど、朝食の時に、ドンと背中たたいて、「宇都宮の花火大会、これお前達復活してみたらどうか」と言われた。

 何を根拠に言ったのか分からない。会社の業績上げなくちゃいけないし、父親とやっている会社も後継者としてやらなくちゃいけないし、そんな中で突然花火が持ち上がった。倫理の普及という声もちらちら聞こえている。

 

1ヵ月で、1000人と出会う

 

 すごい面白そうだ。0.2秒で「ハイ」と言っていました。それからスタートして、色んな諸先輩方、そうそうたる栃木県の先輩方に、「宇都宮の花火大会を復活したいんです、私やりたいんです。」と旗を上げました。たちまち色んな導きがあって、1ヵ月で、1000人位の方とお会い出来ました。紹介で若手がワーと集まって200人。物心協賛で大体運営費、5000万円。それで2万発の花火。4年振りに宇都宮の花火大会を復活しました。前日まで準備不足、経験者一人もなし、行政が一切絡んでいない。4人から始まった非公式団体です。所属も後援も何もありません。それが、宇都宮という冠を付けて、行政が出来ないから、やってくれるなら助かる、と市長、知事の了解をもらって復活しました。

 

線香花火しか描けない

 

 私の子供も当時5歳だったので都宮花火大会を見せる事は出来ませんでしたし、子宇都宮花火2.jpg供に花火の絵を描いてごらんといったら、線香花火しか描けませんでした。子供達に夢を見せたい。判子押したばかりに明日が不安です。明日を考えると真っ暗闇なものですから、花火でも打ち上げて吹き飛ばそうぜと、そんな感覚でやったんです。

 200人で前日まで、喧嘩もしながら、襟首掴みながらやって、花火が一発上がりました。ボーンと。半年間どれ位やったかもう喋れないです。上がった瞬間200人が本当に仲間になって「ヤッター」。

 

振り返ると33万人

 

 殆ど30代の社長ばっかり、この社長ばっかりバーンと集まってヤッター。自分達でカラーコーン運んだり、足場組んだり、ブルーシート敷いたり全部やったものですから真っ黒に日焼けしました。

 涙、泥まみれになって、花火が上がった瞬間にホット見たらですね、宇都宮市50万人都市なんですが、33万人来ていました。

 

宇都宮西倫理法人会の分封

 

 そんな中、上層部で新しい単会を作る話が出ていました。会長は分封しないと何回も言っていました。お話頂いたのが1月です。炭田君一緒に来てくれと真剣な眼差しで言われ、5人で準備委員会を発足しました。2月の中旬だったと思います。

 そこからは、花火の活動もやりながら普及もやって5月に、51社で凖を作って8月8日に102社で正法人会にしました。どうやったか、論より証拠ですね。体力があっただけなのかも知れませんが、何社回ったか分かりません。

 

花火、普及、仕事、選挙  同時進行

 

 右手に普及を持って、左手に花火を持って、左足に会社の営業を持って、右足にこれからのPRをもって、市長選挙もやって、色々な物を持ちながらもう何をやっているか分からないですね。

 ただそれは、全部一つ。走りながら気が付きました。一つの目標に走っていた。心強いサポート、アシスト、力強い言葉を戴けるのは、『日本創生』、これ一つに集約できました。選挙も、花火も、倫理の普及も、疑う事なく『日本創生』これだけに向っておりました。

 

説明出来ない

 

 どうヤッタか、本当これ説明出来ません。7ヵ月で100社。一人で行きました。初めての会社の社長さんの所に行きました。会社の名刺一切出していません。倫理法人会しかありません。ただ、仲間集めやってます。いいです、いいですと。

 このように5人がやったのは、17箇条の実践だけです。人は鏡というのが4・5・6条にある。他人も、子供も、夫婦も全部鏡。これを信じて、笑顔で、楽しいんですと行きました。 「何だこれ宗教みたいなことやって」と断られて帰りました。また近く通ったで行きました。職場の教養、次はこれ、次はあれ、次は仲間連れて、4回位行ってもダメなものはだめです。「もういい加減にしろ」塩まで播かれる勢いでした。でも、5回目に行って、もう尻に火が付いている。

 

貴方が大好きです

 

 大塚という27歳の普及拡大委員長。人脈も無ければ、経験も無ければ何も無い。ただ爽やかスマイルで格好良いんです。その彼が最後に、「貴方が好きです。一緒に勉強したい。一緒にやりたい、一緒に飯喰って、一緒に酒飲んで、一緒に勉強したいんです。」そういう思いを伝えました。

 「貴方が大好きです、宜しくお願いします。」ここからですね、5人で大好き作戦です。そこから一ヵ月で40社入会しました。一番最後です。追い込まれて追い込まれて、今の埼玉県くらい追い込まれて、もうあんたが好き作戦です。

 会長におれの紹介したい人いるから一緒に行ってよといわれる。初対面で27歳の子にですね、「初めまして、好きです、一緒に勉強したいです」こう言われたら皆さん断れますか。是非若手を左手に連れてって下さい。一緒に勉強しようという姿勢をさせてもらっただけです。

 

仕事は俺達ににまかせておけ

 

 倫理法人会と、花火を一生懸命やっていたらですね、建設業営んでおりますが、業績が上がっていました。倫理活動と、苦難福門という、その先にあるものを考える前向きの姿勢が無かったら、この度の建設業の大打撃でどうする事も出来無かったでしょう。

 我が社の9名が、それならそれを真剣にやってくれ。それが営業の一つになるんだったら思いっきりやってくれ。子供、未来のために一生懸命やってくれ。仕事は俺達ににまかせておけ、と言ってくれました。去年の年末、人生の中で一番充実した一年だったと言ってくれました。感激で大泣きして、皆で円陣組んで堅い握手をしました。

 『万人幸福の栞』、17ヶ条の実践をやっているだけにすぎません。倫理をやればやる程、感激が大きく1シーズンに一回は大泣きしております。若くて、一番先頭を走っていきますので、転んだら助けて下さい。

 

                     ( 県執行役員会での講話抜粋 文責 広報 大住 )

モーニングセミナー 講話より

 

 『 心の経営……やれば出来る』

 

                       講師  法人スーパーバイザー 増田常平 様

 

増田常平1.jpg 先日、青森の十和田市倫理法人会へ入って参りました。モーニングセミナーで青森県幹事長の三浦さんとお会いしました。八戸から十和田まで約一時間車を飛ばして参加したと言っていました。 セミナーが終わると、「増田さん、八戸まで送るよ」八戸からは新幹線が出ていて都合がいいんです。という事で車に乗りました。途中で、「ちょっとうちの会社へ寄ってださい」という事で、「コアラハウス」住宅産業を営んでいる三浦氏の会社に立ち寄りました。

 

増田常平2.jpg 会社の玄関を入ると、入り口に「歓迎ようこそ増田常平様」ときれいに印刷したポスターが貼り出されていました。途中で会社に連絡をして準備させたのでしょう。記念に写真を撮りましょう、という事で玄関に貼られているその歓迎のポスターをはさんで三浦氏と写真に収まった訳です。帰りに、写真額になって、来社記念のお土産となって出て来ました。

 

 それだけで驚いては早いんです。入り口に、私の名前入りのスリッパが揃えてありました。「日本一の経営者 増田常平様」と印刷して貼ってあります。

増田常平3.jpg 応接に通されますと、お飲物は何にいたしましょうと、色んなものが書いてあるメニューが出て来ました。私は、コーヒーをお願い致しました。

 

 すると、コーヒーについてきた砂糖に、「歓迎、増田常平さま、ようこそいらっしゃいました」と印刷してある。次に、お菓子が出て来ました。お菓子に、歓迎増田常平様と帯封をしてあるんです。ほんとに、びっくりするんですよね。お土産に何か差し上げますので好きな物を言って下さいとリストがあるんです。

増田常平5.jpg 

 名前入り砂糖。さっきのですね。名前入りお菓子、名前入りコースター、名前入りストロー、名前入りウチワ、名前入りスリッパ、名前入り便せん、封筒いろんな事がドーンと書いてある。中に腰痛の薬というのがありました。

 

 腰が痛いもんですから、これを注文しました。「ハイわかりました」と紙袋が出て来ました。「腰痛がなおる薬・コアラ薬局」薬局ではないんですよ、住宅産業ですから。これに私の名前増田常平6.jpgが書いてある。ついでにもう一つやりましょうと「金持ちになる薬・コアラ薬局」と出て来た。「笑いが止まらない隣のノリチャン」と、私の名前が書いてある。中身はマーブルチョコレート。

 

 「打つ手は無限」と言いますが、皆でアイデアを出し合って、お客様を喜ばせようと創意工夫をこらす。アイデアはどんどん取り上げる。

 ショールームを見に来たお客さんはまず100%受注できるということです。子供を連れて来るときは、子供の名前まで全部聞いて、同じようにチャンと準備して迎える。……

 

                                         新潟県(倫)法人SV ニッセイ新潟代表取締役

モーニングセミナー講話より

 

『 本気のチーム作り 』

 

                        目黒区倫理法人会  大嶋啓介

 チームづくりの極意

 

大嶋 007.jpg 本気でジャンケンしたり、本気で拍手したり、握手したり、ガンバロウと声をかけあう。本気で自分の思いを伝えたり、本気で相手の思いを聞く。

 チームづくりの極意は、これ以外に無いと思っています。

 

 十年前迄、人と接するのが苦手で、チームを作る能力が無いと思っていました。飲食店の店長をやっていたのですが、何をやってもうまくいかない。

 今思うと、僕自身が、バイトさん、社員さんと本気で向き合っていなかったんです。

 自分自身が本気になっていない、だからバイトさん、社員さんが当然やる気になるわけがない。

 私の目標は、「日本一のチームを作りたい」というものでした。皆が輝ける、最高に「よしやろうと」心から燃える、そんなチームをどうしても作りたい。

 この思いから、方法を求めて聞き回りました。一年間に102人の店長さん、経営者に教えを乞いました。研修オタク、セミナーオタク、講演を聞きまくりました。成功者を追いかけました。

 

 父の教え

 

 父は小学校三年生の時に突然他界したのですが、

 「素直な人間というのは、いいと思ったことを直ぐに行動に移す人のことだ。」と教えてくれました。

 いいと思っても、「でもな、自分には無理かな、でもな…、」と行動に移さない人がいます。

 ですから、僕のは、「パクリの哲学」なんです。

言葉はよく無いけれど、モデリングというんです。

 今一番輝いている本気のチームを作っている店は何処なんだろう、と日本中さがしました。そこに通って学んでモデリングして、朝礼をパクりました。

 うまくいく人の違い

 私がどうしても知りたかったことは、人生で、うまくいく人と、うまく行かない人の違いは何なのか。

どうして、同じ店長でも、うまく行く店長と、うまく行かない店長がいるのか。同じ商品で売れる人と、売れない人がいるのか。

 

  法則がある

 

大嶋 011.jpg 自分には出来る、という思い込みの差、信じる力が違う。ここに差がある。成功する人は、成功するまでやりつづけた人なんです。

 夢をつかむ人は、夢をつかむまでやり続けた人なんです。たったこれだけの差ですが。やり続ける人と、途中であきらめてしまう人の差は何処にあるのか。それが、「思い込みの差」であり「信じる力の差」だったのです。

 自分には出来るということを、思い込めるから続けられる。思えなくなった瞬間に諦めてしまう。

 自分の人生は、これからという事を信じるのか、こんなもんだと思うのか。前向きな人間だと信じるのか、後ろ向きな人間だと思うのか。

 何を信じるか、これで人生が決まる。

 栞の十五条に「信じれば成る」とありますがこれなんです。

 

 

  ウオルト・ディズニーさんの場合

 

 ディズニーランドを創った、ウオルト・ディズニーさんは、302回断わられたそうです。あちこちの銀行に断わられて断わられて、303回目にやっと融資してくれる銀行があらわれた。そしてディズニーランドが出来た。

 

 カーネル・サンダースさんの場合

 

 もっとスゴイのは、ケンタッキーフライドチキンのカーネル・サンダースさん。65才で創業して世界中にケンタッキーフライドチキンを広めた。

 創業の時、このチキンを世界の人に食べてもらいたいとレストランを回ったそうです。「こんな爺さんの話聞けるか、あっちへ行け」と断わられた。1009軒断わられた。1010軒目に、やりましょうと協力者が現れガソリンスタンドの跡地を第一号店として、そこから世界に広まった。

 

 この話を聞いて、自分には可能性が無いと思っていましたが、夢を簡単にあきらめるような格好悪い大人に成りたく無いと思いました。この時から、

あきらめるという言葉を使うのをやめました。

                   

                           ( 有限会社てっぺん  代表取締役 )

 

モーニングセミナー講話より

                      講話  塩貝 博 様

気がつくと借金70億円

 

塩貝 博 002.jpg 平成2・3年の頃は、銀行がドンドン借りなさいと言って来る。返さなくていい、利息だけでいいという勢い。危険と思いながら頼まれて借りた。しかしバブルがはじけ一度利息を止めると態度が急変して早く返せ…。

 気が付いたら借金70億、鉄屑は競争値下げ、全く採算が採れない。日本がダメなら外国へと販路を向けると、通産省がLCを出さないという。日本の製鉄所で全量買うのだから輸出はまかりならぬ。ならば、メーカーの責任で高く買うべきだ。すると同業者が同調してきた。今度は、公正取引委員会から価格統制で逮捕する…ときた。一度刑務所の中を見たかったところだ、と応酬。

 平成七年には、ホームレスがあふれた。自分もあの中かと思ったが、家族も従業員も皆だと。これは冗談じゃない。頼まれた事やっただけじゃないか。

 生命保険ありますか。2・3億だ。それだけではとても間に合わない。居なくなれば形がつきますから大丈夫です。よく平気で言うね、オレに死ねということか。そんなこと言っていません。一人じゃ面白くない、あんた先に行ってくれ、使え使えというから借りたんだ。返すから辛抱しなよ…。こんなやり取りを繰り返していた。

 

 指導を受ける

 

 奥さんの言う事を聞きなさい。と指導された。

 聞きなさいというのは、言った通りにしなさいというのではないんですよ。

 「返せないが困ったな…、」と家内に言うと、「無一文で始まった商売だから、諦めて売っちゃえば」とアッサリと言われました。ナニこの野郎、オレがあんなに苦労して40年戦ってやっとここまで来て、最後になんで放り出さなくてはいけないんだ。

 喧嘩しててもしょうがない、聞きなさいというから聞いてみた。ああでもない、こうでもない、いろんなことを聞くようになったら、物が見え始めた。そういう考え方があったのか。家内から見るとこうだったんだなと分かる。ここが一番大切なポイントだった。聞いて、変えなくてはならない事は変えていく、全部は変えられない。何もかもうまくいかないと言う中で、これだけはやるべきだな、これだけは変えようかな。それで駅前清掃を始めた。

 

 駅前清掃の開始

 

 始めると素直になる。借金どうやって返そうか、考えてもどうにもならない事を考えても誰にも救ってもらえない。相談する場所もない。

 随時色々教えてくれたのは倫理法人会だけ。稼げない、家を明渡せとくる、明渡すほかない。事業も縮小、撤退を続ける。仕事の方は、息子が大胆に改革を進めてくれた。工場をバッサリと処分していく。自分では、とても出来ない。

 社員にも家族がいる、守らなくてはならない。「オレは頑張るから皆応援してくれと日常話した。」会社の中、労働組合の話も出ていましたが、それも消えてしまった。

 駅前清掃を始めて様子が変わってきた。会社の中のことも聞こえてきた。家内からグズグスいわれて言うことを聞くようになったら、色々な話が聞けるようになった。

 

 消えた大腸ガン

 

 その頃、大腸ガンで二回手術をしていた。再発して三回目の手術を控えていました。そんな時大量の下血がありました。でも駅前清掃を続けて検診日、下血の二日後でした。大量の下血がありました、と医者に報告して検診を受けると、何してたんですかと聞かれた。王子駅前を掃除してました。何で取ったんですか。ほうきです。違います、ガンを何処で取ったんですかという。ガンが全く消えてしまっていたのです。その後、この通り、今でも元気。

 

 実践が大切

 

 明るい挨拶をしなさい。両手をついて家内に挨拶、と指導された。

 家内の枕元へ行っておはようございます、今日一日よろしくお願いします。何だか空々しい…。

 所が、自分は、会社の中がどうして変わっていくのかが分からなかった。何を聞かれても、社員の言う事も「ハイ」と聞けるようになってくる。

 七ケ所倫理法人会を立ち上げた。不思議と条件が整ってくる。応援の人が出てくる。

 こうしているうちに、とうとう借金70億全部返してしまった。よくあんな事が出来たものだ。

 

                      クリーンテックシオガイ東京(株) 会長

経営者の集いより

 

講話抜粋 《人生逃げたらあかん》   

 

                              講師 福岡県倫理法人会副会長 大島修治 氏

 

大島修治.jpg 平成9年の10月、事件後初めて出社しました。出社といっても、その頃は、字は書けない、言葉もうまくしゃべれない。

 

自分の居場所が無い

 

 すぐに、ここには自分の居場所が無いと感じました。「おはよう」と声をかけても、みんな下を向いて黙々と仕事を続けて、返事をしてくれない。誰一人として「退院おめでとうございます」と声をかけてくれる人はいません。怖いものを見るような顔をして、「いまごろ何で出てきたの、そんな体で大丈夫」と言っているようでした。

 

職と生活を奪う

 

 事件に遭って1年3ヶ月、その間にした事は、会社を潰さないための合理化の指示だけです。70億あった年商、230人いた社員は、10分の1になっていました。私は肝心のことを忘れていました。この合理化によって多くの社員の職と生活を奪ってしまったことを忘れていました。

 

針のむしろ

 

 何としても社員の信頼を取り戻さなければ、社員と心の絆を結ばなければならない。私は「従業員は私の使用人だ。給料を払ってやっているんだ」と、えらそうな経営をしていたのです。会社に復帰した時の社員の冷やかな態度からは、そういう社長を決して認めない、許さないという気持が伝わってきて、針のむしろに座っているようでした。

 

トイレ掃除開始

 

 会社のトイレは約四坪ほどで床はタイル張りになっています。そこに小便器と大便器が二つずつあります。私はそのトイレの掃除を始めました。朝トイレに行き、長靴を履いて左手に手袋をします。左手でタワシやスポンジを使い、右手の中指と薬指の間にホースをはさんで水で洗剤を洗い流します。洗剤がホースにつくとつるつるとすべってしまい、最初はうまく行きませんでした。指の間をすり抜けていくのです。水道からは水が勢いよく出ていますから、私の手を離れたホースは蛇のように踊り出します。それでトイレが水びたしになってしまいました。

 

トイレ掃除はやめてください

 

 トイレだけではなく、私の身体もびしょぬれ。掃除を始めて四日目ぐらいのこと、一人の女子社員が私のところにやってきて、「会長、もうトイレ掃除はやめてください。私たちがしますから」と言うんです。「えっ?どうして?」と聞くと、私がトイレ掃除をしたあとは、トイレットペーパーなど全部ぬれてしまって使い物にならないと言うのです。

 これからは気をつけます」と答えたものの、内心では「こんなに苦労してやっているのに」と不満で一杯でした。それは社員に対する不満だけではありません。ときにはトイレの便器に映る自分の顔に犯人の顔がだぶって見えて、「すべてはおまえのせいなんだ」と、犯人に対する憎しみがかきたてられることもあります。

 

何か手伝いましょうか

 

 しかし、それでも私はやめませんでした。いまやめたら元も子もないと思ったからです。また社員に指摘されたことも、言われてみればその通りだと反省しました。だんだんと手際よくなって短時間でピカピカの状態に仕上げる事ができるようになると、嬉しくなって、玄関前の道路も掃くようになりました。最初、自分達への当てつけと感じていた社員もいたようです。

 二週間程したある日、便器を磨いていた私に、「会長、おはようございます。何か手伝いましょうか」と一人の社員が声をかけてくれました。この時は嬉しくて涙が出て止まりませんでした。

経営者の集い 

 

『 話で人生は変わる』

 

                吉川・松伏倫理法人会   加崎 勇 様 

 

加崎 勇.jpg あなたは話で損をしたことがありませんか

 皆さんは、言葉のたくみさでだまされさことはありませんか。最近リフォームの詐欺など問題になっていますね。

 また、旧知の仲の気安さから、相手の気持ちを逆なでしている事はありませんか、以外と相手の気持ちを考えないで大きな損をしています。

 

 話はどんな仕組み

 

 自分が話す時は相手の事を考えていないものです。

 聞いた人が、分かったかどうか決めています。子供等、「分かった?」と聞かれて、「分かった」と答えても、後の行動、戸の開け閉め等で判断する事が必要です。聞いた振りをしている事もあります。質問したり、こちらから聞いてあげる事が必要です。

 

 自分本意で話していないでしょうか

 

 知ってるはずだ、べきだ、もんだ族になっていませんか。言葉一つでも、一人一人受け取りかたはちがっています。机と言っても、木の学習机、スチールの事務机、横長のテーブル等色々受取り方は違います。話した事の50%が理解されたなら、良い会話なんです。

 

 相手の立場を考えた話ぶりを

 

 表情を観察しながら話をしましょう。怪訝そうな表情の時は、理解されていません。別の表現をしてあげる必要があります。

 子供との話は、殆どの親がいい加減に聞いています。ちゃんと向き合って目を見て話して、素直な気持ちで聞いてあげましょう。

 態度、表情で受け止め方が全く違ってきます。表情が明るかったか暗かったかで、信頼感に大きな差が出てきます。冷たい、悪い印象を与え続けていますと、知らぬ間に敵を作っている事になります。

 

 あ・い・さ・つ

 

 『あたたかい関心、いつも、さきに、つづけて』を心がけてください。挨拶は、お早う、さよなら、だけではありません。一日何回でも、会う度に関心を持っている心を知らせる事が良い関係を保ちます。

 ちょっとした挨拶が、明るかったか暗かったかで、暖かかったか冷たかったで、聞き手の心を大きく左右させています。言葉に合った態度を選んで話しをしたいものです。

 

 やる気を起す話 

 

 やる気を出させる方法には、金力、権力、話す力があります。

相手のことを考えて、必要な事を、必要だけ、必要な方法、で言える力。これが話す力。相手の価値を認める。○○さん、さすがだね。○○さんらしくない。はよい表現です。

 

 まとめ あくまをおいだせ

 

『あきるな、くさるな、まけるな、を(お)ごるな、おこるな、いばるな、だれるな、せめるな』この心掛けでやっていきますと、良い人間関係がきずけます。

 

経営者のつどい講話より

 

 苦難福門』

                           埼玉県副会長 三上忠男 様

 

三上誠.jpg 私の甥の結婚式に出席した時。真島さんという社長さんが最初挨拶しました。

 「今日は、おめでとうございます。私は、乞食で盲でした。」

 何で乞食で盲の人がトップバッターで来賓の挨拶するのかなと思いましたが、後で話を聞いてビックリしました。

 

 真島さんは、戦前に早稲田大学の理工学部を出て兵隊に行きました。中国戦線で目の前で爆弾が破裂してめくらになってしまったんですね。体に破片が30数個はいってしまった。終戦になって日本に帰って来ました。

 

 真島さんは、広島県の作り酒屋の独り息子だったんです。その造り酒屋が原子爆弾で全部やられて跡形も無くなった。井戸だけがのこっていたんです。帰って来て親も誰もいない、自分は盲という事で生きる望みが無くなった。

 

 井戸に飛び込もうとして縁に手をかけてまさに両親の許に行こうとすると、たまたまそこに通りかかった人が、

 「何をしているんだ」

 「いやもう私は生きる望みが無くなった、ここに飛び込んで死のうと思ってる。」

 「そんなバカな事をするな」

 

と引き止められて一命をとりとめたんです。そして、

 

 「あなた死ぬのだったら、死ぬ前にお父さん、お母さんの菩提を弔いなさい」

 といわれて、

 「ああそうだ、我が家は日蓮宗だったなあ。日蓮宗の本山は何処だ。そうだ山梨県の身延山。身延山に行こう」

 ということで広島から私の兄のいる岐阜県の大垣までたどりついた。

 

 パンツに使うゴムひもとか針、縫い針そういう物を売りながら来たんですね。橋の下とか軒先きで宿を取りながら。宿屋をしていた兄の所に、一晩泊めて下さいと宿を乞うて来た。ぼろぼろの乞食、でも兄は、いいですよと泊めてあげたんですね。風呂に入れて、きれいに身サッパリにして、衣服も質素だけれど改めてあげたんです。色々身の上話しを聞くと、素晴しい人なんですね。その一例が、礼状。手紙。ハガキを幾重にも折ってその筋に沿って、先日は大変お世話になりました。その文章がまた素晴しい。

 

 そして又、遥か身延山に向っていったわけです。三百段近い高い石段、健康の人でも大変な場所、わら縄の先に石をくくりつけて、その石をポーンと投げながら石の階段を登っていった。カチンと音がすれば階段があるけれども、音がなければ断崖絶壁、谷底へ転落。

 こうして頂上まで登っていって、お父さん、お母さんの弔いをやった訳です。

 下に降りて来て、富士吉田に来た。そこにおばあさんと娘さん二人だけの八百屋さんがあった。一晩泊めてもらった。そのお婆さんが、いやこの真島青年というのは盲だけども素晴しい。という事で、娘と結婚させちゃうんですね。子供も出来た。でも、盲じゃ不自由だ、なんとかならないかという事で、眼科の医者に見せた。そしたらこの目は直るという事で、手術したらほんとに見えるようになった。

 

 それからの真島さんの働きはすごい。その当時、なけなしの金をはたいてオート三輪を一台買って、そして筆で「ママさんマーケット」と書いた幟旗を立てて、その当時貴重な石鹸とか色々な雑貨を積んで村のほうに売りにいった。それが帰りは空になるくらい売れに売れた。どんどん店が大きくなって、他に出店もした。

 

 他人のやっかみでつぶれるよと中傷などが入ったりしたのを乗り越えて、今は大きなスーパーマーケットの社長さんになっている。人生てすごいな、やれば出来る。とつくづく感じております。

 もし、真島さんが井戸に入って自殺していたらそれで第一巻の終りだったんだけれど、人に助けられて、お父さん、お母さんの菩提を弔って、オート三輪を一台買って、それで仕事をして、今日がある。人生てなんだろう。

 

 「苦難福門やればできる」んですネ。

 

                          (有)アド・ミカミ 代表取締役

モーニングセミナー講話にて紹介

               東松山市倫理法人会 安藤正一様 

 

『生涯の旅路』 

 

私は私の一生涯の旅路において

今日というこの道を再び通ることはない

二度と通ることはない

二度と通らぬ今日というこの道

どうしてうかうか通ってなろう

笑って通ろう歌って過ごそう

二度と通らぬ「今日」というこの道

わらわれて… そこで反省するのだよ

しかられて… そこで賢くなるのだよ

たたかれて… そこで強くなるのだよ

一輪の花でさえ風雨をしのいでこそ

  美しく咲いて薫るのだ

バカにされても笑ってうけ流せ

けとばされても歯をくいしばって忍べ

苦しいだろうくやしいだろう

しかし君

この道は尊いと言われた人たちが

必ず一度は通った道なんだ

モーニングセミナー講話より

 

『 未だ見ぬ本当の自分の発見の旅』

 

 

              朝霞市倫理法人会 監査   北嶋茂敏 様  

 

 

人生はすごいドラマだと思います。中学校から話を依頼され、7月9日講話をいたしました。全校生徒709名、父兄百名、先生合わせて850名。翌年3月16日卒業式に呼ばれました。

 

式後、来賓の方々が集っていた校長室に一人のお母さんが訪れました。「あのときどういうお話しをしたのでしょうか。家の子はあの時からすっかり変ってしまいました。…」

全く迷惑をかけなくなったと言うんです。お母さん、それは真剣でしたね。どうしたら、そんなに変われるのか。……

 

 

 要は、我慢しなさいと言う事を話したんです

 

 

北 023.jpg 机をたたいて『我慢せんかい!』 とやったのが事実ですが。学校、中学校時代なんていうのは本当の自分なのか、今、いろんなことを学んで、団体生活、学習、部活で体を鍛える。そういう事を訓練して世の中に出る。

 まだ見ぬ本当の自分はもっと先にあるんじゃないのかね。

 

 今の子供たちはちょっと面白く無い学習があると、もうすぐ「面白くネエー」と教室の中グルグル走り回って人に迷惑かけて知らん顔。自分が面白くなければガチャガチャ。

 

 皆さんだとは言わん。でも、今はそう聞いている。その時に、おじちゃんは我慢した。人に迷惑をかけるような事はしなかった。おじちゃんは決して勉強が出来たわけでは無い。

 

 ここに、通信簿がある。国語が2、社会が2。英語が2。勉強は出来なかったが、一応経営者として会社やっとる。皆の前に立っている。国語の時間読ませられる、漢字が読めない、嫌な授業は50分の授業が倍にも3倍にも感ずる。でも人間我慢ができなくてはだめなんだ。

 

 世の中に出たら我慢する。私の体験でそんな事は絶対に出来ない。15才だと仕事も出来ない。法律で雇う事が出来ない。

 

 父さん母さんから、こずかいもらっているんでしょう。そうでないと生きられない。能書きかけるようにしてくれたのは誰なんだ。

 

 文章がよく分らん、今しっかりやっておけばサラサラサラと書ける。これはボロボロになった国語の辞書。いつも私の机にある。私の父が苦労して買ってくれたものだ。

 勉強しなかったのは自分だ。だれのせいでもない。

 

 皆さんは「今」勉強出来る。先生がついている。必ず、いつかしなくてはならない。若くて覚えのいい時にやるか、年をとってやるか、自分だけ例外という事は絶対ないんだ。

 

 中学で社会に出る。高校で、又それ以上で社会に出る。社会に出ていよいよ仕事が始まる。力が試される。自力が生きて来る。……

 

                     私は、夢中でこんな話をしたのです。